脳みそキャリブレーション

思ったこと、感じたことを書く取り止めのないブログです。自分の考えを整理するために書いていますが、誰かにとって新しい視点を与えられたら幸いです。

ブランドの価値はどこにあるのだろう

先日、ふと腕時計が欲しいなと思い、ネットで検索をしてみた。

僕は学生の時に買ったG-SHOCKを社会人になってからも使い続けていたのだが、フォーマルな腕時計も持っておいていいだろうと思い探すことにしたのだ。

ネットではショッピングサイト最大手のAmazon楽天をはじめとし、腕時計販売専門サイトなど様々な店が見つかった。

スマホがあれば場所や時間にとらわれず買い物が出来て、つくづく面白いなと思う。

そして、いろいろ調べる中で、ある疑問が湧いてきた。

ネットではどれくらいまで高い時計が売っているのだろうと。

 

僕が調べていた中では、機械式の腕時計がだいたい30万円くらいで、見つけた瞬間「高!」と驚いていた。

ネットでうん十万円の取引をする奴がいるのかと思いつつも、もう少し高い時計も扱っているだろうと予想し、さっそく楽天で調べてみた。

そうすると、出てきたのが300万円の腕時計。

もはや僕の領分から大きくはみ出た存在に呆れるとともに、きっと世の中にはこういった高級品をポンと買えてしまう人が沢山いるのだろうなと妙に納得してしまった。

 

さて、楽天で出てきた300万円の時計というのはフランクミュラー機械式腕時計だった。

その時計は、腕時計と聞いて思い浮かべるような丸い形をしておらず、長方形や楕円に近かった。

ちなみに機械式時計というのはゼンマイで歯車を回し時間を刻む仕組みになっており、作るためには特別な技術が必要だ。

職人が腕によりをかけて作る代物なわけだから、ある程度高いことには納得ができる。

また、ほかのメーカーだが、中にはストップウォッチ機能や月の満ち欠けを表示できる機械式時計もあり、相当緻密な技術も用いていると予想できる。

様々な技術が散りばめられた製品が高級になるのは納得ができる。

300万円のフランクミュラーに恐れおののいていると、今度はすぐそばに異常な値段の時計があることに気がついた。

なんと、フランクミュラーの時計が3000円で並んでいるではないか。

3000万円ではなく3000円である。

300万円の時計を見た後だと3000円の時計が変に思えるのは、人間の脳みそが弱いものだと思い知らされる。

 

本当に時計なのかと確かめるために、3000円の時計の項をクリックして中身を見たが、商品はちゃんとした時計のようだった。

スマホタブレットだと、いかにも本体を売っているように見せかけて、実は画面に貼るフィルターだったりするいやらしい手を使うページがあるが、今回はそういった手口でもない。

一体どういうことかと、注意深く読んでみるとようやく謎が解けた。

この時計、フランクミュラーではなくフランク三浦が売り出していたのだ。

つまり、フランクミュラーっぽい時計を販売する偽物業者である。

 

間違いなく今年一番のしょーもない出来事だが、ある意味とても面白い出来事だとも思う。

フランク三浦の時計は一見フランクミュラーの時計だが、値段は1000倍異なる。

フランク三浦の時計は機械式ではないので、技術的な価値が低いが、フランク三浦が機械式腕時計を作ってもせいぜい数十万円だろう。

つまり、見た目や機能が同じでも決してフランクミュラーには届かないのだ。

これはなぜか。

当たり前だがフランクミュラーが作っていないからである。

つまりフランクミュラーが作っていると価値が上がるのだ。

 

よく知れ渡った有名な人や会社が作った物には、機能以上の価値が付く。

この事象は日常生活を送っていて至る所で感じると思う。

好きなスポーツ選手がサインしたボールやユニォームは、ただ売っているのもより価値があるだろうし、スーパーで売っているワインよりも特別な地域で作ったワインの方が抜群に高い。

ワインの例は味が違うから単純な比較はできないが、100倍高いワインは100倍美味しいとは言えないだろう。

作る人や提供元が違うと値段が変わるのは当たり前なのだ。

 

では、なぜ作る人が違うと値段が変わるのだろうか。

色んな要素を思いつくが、重要そうな点を挙げると、まず信頼性だろう。

フランクミュラー製だから正確に動くし、簡単に壊れたりしないだろうと思い込むため、お金を払ってもいい気分になる。(実際、質が高いのだろう)

また、デザイン性も大事であろう。

フランクミュラーの時計は文字盤の配置や、時計の形がユニークで美しい。

そして、それらを自分で作り上げた努力も忘れてはいけない。

デザインだけで言えばフランク三浦も同じような時計を作っているので、高くてもおかしくないが、ただのパクリ商品なので努力点が死ぬほど低い。

そして、これらの物質的な判断を超えた部分がブランドだと言えるのではないだろうか。

 

ブランドという見えないものに対価を払える人間という存在はとても面白いなと思う。