機械エンジニアになる人にプレイしてもらいたいアプリ
こんにちは。
2020年が始まってから、新型コロナウイルスが猛威を振るっていますね。
僕は機械メーカでエンジニアをしているのですが、新型コロナの影響で自宅待機を強いられています。
さて、この春から社会人になった人の中には機械エンジニアがある程度いるかと思います。
おそらく、新型コロナウイルスのせいで、まだちゃんと仕事を始められていないと思うので、機械エンジニアになる人は今のうちにやっておいた方がいいSimplePhysicsというアプリを紹介します。
<SimplePhysicsのアップルストアのリンク>
このアプリは、120円で購入しないといけないのですが、起動すると色々な構造物を作る13個のパズルをプレイすることができます。
構造物は橋や、家、ビル、クレーンなどで、いずれも自由な長さの棒を組み合わせて作ります。
また、作った構造物には、各ステージで設定された負荷を与え、その負荷に耐えることができたらクリアというゲームです。
ゲームとしては非常に単純なのですが、物理エンジンを使って構造物に働く応力を計算して合否を判定してくれるので、自分の作ったモノがうまく機能するのか、どのような構造にするのがよいのかを、ざっくり理解することができます。
機械エンジニアになる人は、大学で機械工学や材料力学などを勉強してきたかと思います。
ただし計算や問題を解けるようになっても、現実的にどのようにそれらの学問が使われているかピンとこない人がほとんどではないでしょうか。
今回紹介アプリというのは、大学で勉強してきた学問の中で、構造力学や材料力学がどのように働いているか、何となく理解できるものです。
機械エンジニアをしていると分かることになると思いますが、力を受けたときに弱い形、強い形を知っておかないと、変な形のモノを作ることになってしまいます。
変なモノを作れば、先輩や上司から手厚い指導を受けることになるでしょう。
指導を受けながら成長するのも、それはそれでありですが。
このアプリさえやっておけば完璧というわけではありませんが、今後のキャリアを考えると、得られるものは多いと思います。
このアプリはお金がかかるので、抵抗がある人もいるかと思いますが、機械エンジニアにとっては今まで勉強してきた内容と、実際の仕事のいい橋渡しになってくれるので、そのために120円を払うのは、コストパフォーマンスを考えると非常に優れています。
機械エンジニアとして頑張っていこうと考えている人は是非プレイしてみてください。
音楽フェスで感じたプロ意識
8月も半分を切り、夏真っ只中で暑い日が続きますね。
暑いと外へ出る気力もなかなか出てこないものですが、先日、友達に誘われてロックインジャパンに行ってきました。
ロックインジャパンはいわゆる音楽フェスで、毎年8月に茨城のひたち海浜公園で開催され、今年はちょうど20周年目とのこと。
何も知らずに行ったのですが、思いがけずロックインジャパンの節目に立ち会えてラッキーでした。
また、僕はロックインジャパンを含めて音楽フェスに行くの初めてだったのですが、色んなアーティストのライブを体験することができて大いに楽しめました。
ありがとうロックインジャパン。
ところで、このロックインジャパンに行って、音楽とは別に興味深い点がありました。
それは「ダイブ禁止」です。
僕が会場に到着したとき、ちょうど運営者が開催の挨拶をしていて、ロックインジャパンではダイブを禁止していると説明をしていました。
音楽フェス初参加でしたので、最初は何を言っているのかよく理解できなかったのですが、どうやら音楽フェスではライブ中に観客が観客の上に飛び乗ってダイブするということがよくあるようです。
運営者は、ロックインジャパンではそのダイブを禁止していると開会の場で宣言していたのです。
その時はそういうものなのかと思っただけだったのですが、このダイブ禁止は開会の場だけでなくライブ開始前には必ず舞台のスクリーンに表示され、何度も注意が促されていており、運営サイドはかなり念入りに周知していることに気づきました。
ダイブ禁止についてすごい力の入れようだなと思い、ライブの合間に少し調べてみると、ロックインジャパンの運営元が開催した2008年末のカウントダウンイベントでダイブによる事故が発生し、この事故で後遺症が残るほどの怪我を負った人が出たため、それからロックインジャパンの運営はダイブ禁止のルールを設定したそうです。
個人的には、そんな重大な事故が起きたら禁止にするのは普通というか当たり前だなという感覚なのですが、ネットにあるブログ投稿やそれに対する反応を見ると、ダイブ禁止はありえないみたいな発言がちらほらあり、ダイブ賛成派がそれなりにいて驚きました。
ダイブの是非については個人ごとの意見があり、良し悪しを決めるのは難しいと思います。(僕自身はもちろんダイブは禁止すべきだと思ってます。)
一方で、ダイブ禁止から分かる興味深いことがあります。
まず、ロックインジャパンがダイブ禁止を設定したのが2009年夏からで、すでに10年経ちます。
もしダイブ禁止が多くの人にとって受け入れがたいルールであれば、ロックインジャパンは不人気になりイベントとしてなくなるか、ダイブ解禁をして元どおりになるかのどちらかの対応を迫られることになります。
しかし、現実的にはダイブ禁止から10年経っても規模は大きくなる一方でイベントとして大成功しています。
ほとんどの人にとってダイブ自体はフェスを楽しむ上でそこまで重要じゃないし、ダイブから得られる楽しみと安全を差し引きすると安全を選択する人が沢山いると考えられます。
ダイブしたい人はダイブを許容している音楽イベントに行き、ダイブ禁止で問題ない人はダイブ禁止の音楽イベントに行く。
運営者がルールを設定して住み分けを促して、来場者に快適な場を作り込んでいるとも言えます。
また、ネットで調べた印象ではライブでダイブすることは一般的と思っている人もいるので、音楽フェス運営者としては、ダイブを禁止することは業界の空気からすると異常であると伺えます。
きっと普通の運営であれば一部のダイブ好きから猛反対を受けて、ダイブ禁止を決断するとこはできないのではないでしょうか。
ロックインジャパンには自分たちの考えに基づいて、自分たちのフェスをどのようにしたいかが反映されています。
この自分たちで考えた結果としてルールを決めているのは素晴らしいと思います。
もちろんダイブを許容している音楽フェスが何も悪いわけではありませんが、ダイブは重大な事故を起こし得るということを理解し、もし事故が起きたときにどのように対応するかルールや手順を考えて決めておく必要があるでしょう。
他にも、ロックインジャパンではトイレが沢山ある、グッズや食べ物の会計で電子決済ができる、荷物をクロークに預けられるなどの来場者に快適に過ごしてもらえるような工夫がありました。
あくまでも来場者目線がロックインジャパンの運営方針なのでしょう。
実際にロックインジャパンへ行った身として、運営のプロ意識を感じられる良い音楽フェスでした。
おそらく、こういった取り組みがダイブ禁止にもかかわらず規模を大きくし続けられる秘訣なのだと思います。
今後もこの運営が続くかは分かりませんが、少なくとも僕は来年もロックインジャパンに行こうと思います。
中学生の自分に伝えたい英語の勉強方法
数年前から仕事の関係で英語を使うようになり、社会人になってから英語を真面目に勉強しだしました。
昨年末あたりから、ようやく英語を使って1人で仕事をできるようになってきて、初めの頃と比べてかなり力がついてきたなと感じているところです。
日頃の積み重ねはとても大事だなと、感慨深くなります。
ところで知っての通り、義務教育の中学で3年間、ほぼ全員が進学する高校で3年間と合計6年間ほとんどの日本人が英語を勉強するわけですが、これで英語を話せるようになる人はどれくらいいるのでしょうか。
(最近は小学生から?)
僕はさらに大学で2年間英語の授業を受けたのですが、仕事で英語が必要になった時点では全く英語を話すことができませんでした。
学校の勉強で英語をある程度使えるようになる人は少しくらいはいると思いますが、実務レベルで使えるようになったと言う人は僕の経験上で存在しません。
社会に出た時点で英語を使えるのは、それまで特別に英語を使う環境下にいた人だけと言っても間違いないと思います。
日本の英語教育に文句を言うつもりは全くありませんが、社会人になった時点である程度英語で会話ができているべきではないのだろうかと、働くようになってから考えるようになりました。
本当に完全に国内だけで完結する仕事であれば英語ができなくても何も困らないのでしょうが、経済が世界と繋がっている現在では、どんどんそう行った仕事は減っていくと思います。
逆に言うと、英語ができれば仕事の幅が広がる訳ですから、英語を使えるようになっておくことは非常に重要とも考えられるでしょう。
さて、恥ずかしながら僕は仕事で必要になってから真剣に英語を勉強し始めたのですが、この記事では僕が中学生の時に知っていたらよかったのにと思うことを書こうと思います。
中学生の自分がこの記事を読むことは決してありませんが、社会人になってから英語の勉強に苦しむことになった自分への戒めを込めて書きます。
そして、万が一この記事を学生さんが読んで、ほんの少しでも英語に興味を持ってくれたら幸いです。
<中学生の自分に伝えたいこと>
その1: Youtubeで英語の動画を見る
おそらく現時点でYoutubeより優秀な英語の先生はいないでしょう。
Youtubeには数え切れないほどの動画があり、その中には自分の興味のある分野のものかつ英語の音声がついているものが必ずあります。
自分の好きなものが英語でどのように話されているかを知るのは、好奇心をそそられるのではないでしょうか。
きっと英語に触れ続けるのが苦にならないでしょう。
しかも今時の動画には自動で字幕をつけてくれるようになっているので、より一層勉強をしやすくなっています。
音楽、スポーツ、ひたすらバカなことをしてるおもしろ動画など、なんでもいいからYoutubeで検索してみてみましょう。
ちなみに僕のオススメは外国の筋トレ動画です。
その2: 単語を調べるときはGoogleの画像検索を使う
当然ですが、英語を勉強していると知らない単語が多く出てきます。
その都度、辞書を使って意味を調べるのはとても大切ですが、それと同時に単語の持つイメージを知ることも大事だと思います。
Googleの検索エンジンには画像検索がついているので、その機能を使うとその単語がどのような画像をイメージするのか知ることができるので、単語の意味を理解するのにとても役に立ちます。
その3: 英語圏の話相手を作る
上の二つに比べると実行に格段にハードルが上がりますが、それだけ効果は絶大です。
結局のところ、実際に英語を使わないと英語を使えるようになりません。
現代ではSNSが発達しているので全く不可能なことではありませんし、想像するよりも現実的な手段でしょう。
例えばネットで「スカイプ 外国人」と検索すればいくらでも方法は見つかります。
もし金銭的に余裕があればオンライン英会話に登録するのも一つの手だと思います。
学生さんであれば、両親に相談すればきっとお金を出してくれるでしょう。
他にも挙げればきりがありませんが、僕自身の経験として最も効果のある3つを書きました。
人によっては全く参考にならないかもしれません。
ただ、英語を勉強して使えるようになると言うのは非常に重要なことです。
社会人になってから英語を勉強するのは時間的にも体力的にもしんどいし、使えるようになるまではただのお荷物になってしまいます。
まだ学生の皆さん、時間があるうちに是非とも英語をしっかり勉強しましょう。
また、英語を使えない社会人の皆さん、英語ができない同僚は沢山いるので、差をつけるためにも今のうちに頑張っておきましょう。
新元号や新紙幣は政府からすると手頃な追徴では?
この記事を書いている今は平成最後の4月30日で、世間はGW真っ只中です。
2019年のGWは平成と令和の切り替えという事もあり、祝日をまとめにまとめて10連休となっています。
祝日に働く人も多くいるので、国民全員が10連休や9連休とはいかないと思いますが、学生や謂わゆるサラリーマンは長期連休を手にしたのではないでしょうか。
さて、今回の元号の切り替えは天皇の生前退位に伴って実行されます。
この生前退位が決まるまでは、僕たち国民の中にとっては元号が切り替わるのは天皇が亡くなったタイミングという認識でした。
しかし、今回はそのタイミングが事前に分かっている特殊な状況で、世間では「平成最後の〇〇」と行った言葉が流行るなど、お祭り状態となっています。
テレビやネットで平成の総括や振り返りなどがメイントピックとなり、様々な視点で議論が巻き起こっているところですね。
さらに、新元号が発表された約1週間後には、新紙幣を2024年から導入するといった発表もあり、新一万円札の渋沢栄一がどんな人か、何をした人かなども話題となっています。
<ハフポスト>
渋沢栄一とは?新紙幣1万円札の顔 「日本資本主義の父」と呼ばれた人物の足跡をたどる | ハフポスト
僕自身、天皇の体調や負荷を考えると生前退位は合理的な判断だと思うし、新紙幣の発行も貨幣の電子化が完全になるまでは必要なことと思っているのですが、その一方で新元号や新紙幣の導入は手頃な税金の回収ではないかと思っています、
僕たちが普段の生活で元号を使うタイミングを考えてみると、何かしらのフォームに生年月日を記入するときや、書類にそれを作った日付を記入するときだと思います。
元号が令和に変わることで、これらを記入する用紙の取り替えや、入力するフォーマットの修正が必要になります。
実際の紙に印字されてしまっているようなものは、令和が入っていなければ破棄して新しいものを用意しなければならないでしょうし、電子的なものについてはシステムの改修が必要になるでしょう。
しかも新元号が発表されたのは2019年4月1日で、新元号を適用するのは2019年5月1日からなので、単純に考えると準備期間は1ヶ月です。
特定の分野の人たちは忙しかったのではないでしょうか。
システムに和暦を使っている企業や、役所、官公庁とそれらと仕事をしている人たちにとっては、例年にない業務を強いられたと思います。
ただ、政府の立場からすると新元号に切り替えると決めさえすれば、有識者を集めて決めるて、手頃な時期に発表するだけで、新元号に切り替えるためのシステム改修の発注や新書式の発注が増えるので、ちょっとした特需を発生させられます。
また、新紙幣の導入にしても、現金を使う場所では新紙幣に合わせたシステムの改修が必要になるでしょうから、同じような発想ができます。
これは新元号や新紙幣により、全国的に同時期に多くの企業の支出を増加させることができるとも考えられるのではないでしょうか。
一般企業には支出をさせて、フォーマットやシステム改修を請け負う会社には需要を発生させるので、ざっくり考えるとシステムを持っている企業に追加の税金を払わせて、システム屋に公共事業を提供している図式になります。
わざわざ税金を増やしますという必要もなく、みんながお祭りモードで従ってくれるので、政府にとってはまたとない機会だったでしょう。
しかし、これらの業務は新規性や技術発展もなく社会的な付加価値も低いので、無駄な業務を増やして生産性を下げていると考えるのが妥当だと思います。
システムを平成から令和にしたところで利益を生むわけではないし、経済的優位性を得られるわけではないので、意味もなく人やお金を使って時間を浪費していることになります。
逆に考えると、新元号の導入によって追加の支出を迫られているのは、西暦ではなくいまだに和暦を使っているような企業です。
単に日付を特定するだけであれば、西暦でも和暦でもその機能に何ら違いはなく、むしろ和暦は日本でしか使えないことを考えると、西暦の方が経済活動的には利点があります。
この利点を無視して和暦を導入してる企業は、無駄なコストを払うことに鈍感な企業とも考えられるので、新元号導入にあたって発生した追加の支出というのは、コスト管理ができていない競争力の低い企業への制裁と考えられるのではないでしょうか。
まさに愚者の税金ですね。
このように考えると、政府には毎年元号を変えてもらって、世の中の変化に柔軟でない会社を淘汰して欲しいところです。
また、新紙幣の発行についても、キャッシュレス化が必要とされる今後の流れと反していますが、やたらめったら新紙幣を増やしていけば、みんな嫌になって最終的にはキャッシュレス化が進むと思うので、是非とも新紙幣をたくさん刷ってもらいたいですね。
それでは良い令和時代を。
日本が若返り出来ずに死んでいくであろう一因
至る所で叫ばれているが、日本は高齢化が加速している。
内閣府のHPにある情報によると2017年の時点で65歳以上の人口は全体の27.7%を占めている。
すでに27.7%ということは既に日本人の4人に1人以上は65歳以上の高齢者にあたることになる。
<内閣府HP>
1 高齢化の現状と将来像|平成30年版高齢社会白書(全体版) - 内閣府
昭和までの日本は人口増加で、若い人材が多くイケイケどんどんの状態で経済を発展させてきたわけだが、その手法はとうの昔に使えなくなっている。
上に貼ったHPにあるグラフ内にある通り、これからの日本は現役世代も減るので尚更もう人口に頼った経済の発展は見込めない。
もし適齢期の女性が頑張って4人も5人も子供を産んだとしても、現役世代の増加に繋がるのは20年以上必要になるので、人口増加を達成している頃には既に経済的には衰退か崩壊をしていると思われる。
さて、この問題を解決するための一案として考えられることに移民がある。
20年も待っていられないので、海外から若い人を直接引っ張ってこれば良いという発想だ。
若返りは必須であるとみんな理解しているようで、僕は調べるまで知らなかったのだが、日本は実は世界的に見ると移民を受け入れている方らしい。
<西日本新聞の記事>
「移民流入」日本4位に 15年39万人、5年で12万人増|【西日本新聞】
西日本新聞の記事では、ドイツがずば抜けて移民数が多く、アメリカが第2位となっている。
ドイツとアメリカが異様に受け入れ数が多く、第3位以下は団子状態で一年あたり30万から50万人くらいの受け入れ数ということが分かる。
日本は一年で40万人近くの移民がいると知って、僕自身はそんなに多いのかと正直驚いたのだが、確かに思い起こしてみるとコンビニ店員はほどんと東南アジア系の外国人だし、近くにある工場からも外国人が大勢出てくるのをよく見かける。
おそらく、コンビニ店員や工場勤務者の形で大勢の外国人労働者を日本に呼び込んでいるのだろう。
さて、僕自身は移民には賛成だ。
日本は高齢化社会から回避することはできなくて、若い人が必要であるから海外から連れくるというシンプルなアイディアは分かりやすいし、それしか手はないと思っている。
僕は海外旅行が好きでアジアの国にもいくつか行ったことがあるのだが、特に東南アジアには日本にはない熱気や猥雑さを感じる。
熱気というのはあくまで人の熱意という意味で、気温の話してはないことに注意してほしい。
日本全体が東南アジアのようにごちゃごちゃした方がいいと言うつもりは全くないが、移民を受け入れることで新しい刺激を受けるのはとてもいいことだと思う。
世界的にはアメリカをはじめ自国ファーストの流れがきているので、逆張りで外国人を大量に受け入れてグローバル化を目指すのも良い選択肢ではないだろうか。
しかし、経済の発展のために移民を進めると言う観点からすると、今のようにコンビニ店員や工場労働者のようなブルーカラーを大量に連れてくるのは、方向性を正しいのか疑問が残る。
彼らは日本で働きこそしているが、あくまで現時点では日本の賃金の方が自国よりも良いから日本に来ている出稼ぎ労働者だ。
そのうち時期が来たら自国に帰ってしまうだろう。
若い日本人が少なく、コンビニ店員などの面倒な作業が多い割に安い仕事をあえてやりたがる人はあまりいない。
そこで外国人労働者を連れてきて、そういった誰もやりたがらない仕事をさせている状態となっている。
もちろん外国人労働者も本当にやりたくなければ、コンビニ店員をやったりしないだろうが、賃金の差がその差を埋めていることになる。
日本は高齢化が進み、いずれ死んでしまうことを避ける手段として移民を推進する必要があるのだが、その移民が出稼ぎ労働者であれば意図に沿った移民であるとは言い難いのではないだろうか。
人が少なくやりたがる人が少ない仕事があるのならば、例えば無人化の方向で頑張らなければならないし、当然、当事者たちは無人化の努力をしている。
スーパーにコンビニも… 広がる“無人化”|日テレNEWS24
現在の多くの移民は無人化が達成するまでの一時的なものとも考えられる。
つまり、高齢化で人が少なくなるので、自動化や機械化を進めなければならないが、そう簡単にできることでもないので、人手が不足している間に外国人労働者に頑張ってもらうという図式になっている。
では、人の手が必要なくなれば移民は必要ないのだろうか。
やはりそれは間違っていて、移民は必要であると思う。
日本は人口が減少状態に入っており、若い人もどんどん減っている。
人口構造が定常状態であれば、機械に置き換える間だけ手伝ってもらえれば問題はないかもしれないが、人が減っていて定常状態に入る見込みもないので、不足分を補うための移民は必要となる。
そして、その移民は出稼ぎ労働者ではなく、何かしらの職業を持った定住者でなければならない。
ただし、基本的に日本語しか使えない日本で働き続けるのは困難であると予想できる。
その人が相当日本のことを好きでなければままならないだろう。
もしくはお金を積み、住みやすい環境を整えて残ってもらう必要がある。
そのような努力を国や各企業が実はしっかりやっているのかもしれないが、現在の移民数が多いから今後の高齢化社会に対してどのような意味があるのかと考えるのはずれていると思う。
今の日本に必要なのは日本に日本人と同じ様に定住している人なので、移民の定着率を見なければ意味はないだろう。
さて、移民には定住してもらうことが重要なのであるが、外国人が、特に東南アジア人が日本に住み続ける上で非常に厄介な問題が日本にはあると僕は感じている。
それがタイトルにある一因にあたる。
近所のコンビニ店員はほとんど東南アジア人なのだが、最近になって奇妙なことを発見した。
店員は外国人なのだが、つけている名札が日本人の名前だったのだ。
はっきり思えているが、以前は外国人の店員はカタカナで外国人名の名札をつけていたのだが、今では「さいとう」や「まこと」の様にひらがなで日本人名の名札をつける様に変わってる。
これと同時に、気がついたことがあるのだが、外国人コンビニ店員にやたら高圧的な態度をとる高齢者を見なくなった。
これは僕の憶測に過ぎないが、一部の高齢者は相手が外国人労働者であるとわかると無礼な態度をとり、コンビニ側はそれが営業に支障が出ると判断したので、外国人店員に日本人名の名札をつけさせているものと考えられる。
一部の高齢者が無礼な態度を取る原因が、相手が外国人労働者であることのため、高齢者に外国人かパッ見で判断できないように名札を日本人名にすることは、なかなかアクロバティックなアイディアなのかもしれないが、果たして本当にそれが正しい行動なのかは疑問が残る。
厄介な高齢者とのいざこざを回避するために、外国人労働者に偽名を表示させることは、外国人労働者からしたらどのような気分なのだろうか。
一方で、全員ではないにしろ、外国人労働者に偏見を持つ人はそれなりにいるものと想像できる。
特に東南アジア系の外国人を自分たちよりも劣っていると考えている人が沢山いるからコンビニは日本人名を名乗らせるようにしているのではないかと思う。
この文化的な認識が変わらない限り、日本が移民にとって定住するに値する国になることはないだろう。
それにしても、大昔やファンタジーの世界のように、本当の名前を知られることが禁忌であるならまだしも、わざわざ日本まで来て仮の名前を与えられるというのは何とも納得しがたい話だ。
逆にいえば、悪質な高齢者という悪霊や災害から身を守るために真名を隠して、仮の名前で生きなければならない日本は、現実世界において異世界ファンタジーを体現しているのかもしれない。
カンボジアで見た一つの合流点
だいたい一月ほど前、カンボジアへ旅行をした。
カンボジアといえばアンコールワットが有名なので、カンボジア旅行といえばアンコールワットのあるシェムリアップを思い浮かべる人も多いかもしれないが、僕が行ったのはプノンペンだ。
プノンペンはカンボジアの首都で、成田空港から直行便も出ているので馴染みはないが旅行するには便利な場所だ。
ちなみにウィキペディアによるとカンボジアの人口は約1500万人で、その内プノンペンの人口は約220万人とのことだ。
個人的には思ったよりも大きい国なんだなと感じる。
さて、僕がプノンペンに行ったとき、全く意図していなかったのだが、ちょうど中国の旧正月の時期と重なっていた。
もちろん行くのはカンボジアなので、旧正月のことなど全く頭になかったのだが、プノンペンに着いてから今は旧正月なのかと気づくととなった。
プノンペンを歩いていると妙に赤い提灯が目に入ってくるのだ。
街中が真っ赤というほどではないが、中国系ホテルや中華料理屋の軒先にはまず間違いなく旧正月を祝う赤提灯が飾ってあった。
また、プノンペンには漫画のAKIRAの世界さながらに大きなビル群が立ち並ぶエリアがあるのだが、そのビルの側面に取り付けられた電光掲示板も真っ赤に彩られていた。
細かい事実は調べていなが、これらの赤提灯からカンボジアには中国のお金が思いもよらないほど流れ込んでいるのだろうということが分かる。
カンボジアの現地人はもちろん中国人ではないため、提灯を飾ったりはしないのだが、中国系のホテルなどがプノンペンには多くあるので赤提灯が目立つのだ。
これは2つの点で面白いと思う。
カンボジアの首都の至るところにホテルや中国料理屋を立てるほど中国のお金が入ってきている点と、自分の国でもないのに赤提灯を堂々と掲げている点だ。
紀元前から戦争をひたすら繰り返し、奪い奪われを続けてきた中国大陸の人間たちは、21世紀の今の時代、経済やお金の力で東南アジアに手を伸ばしているのだ。
これはカンボジアは発展できるチャンスを得るし、中国は経済圏を拡大できるしお互いに利益があるのだろう。
また、赤提灯をあからさまに掲げるのは別に支配しに来たことを見せつけるためではなく、中国からカンボジアに来ている人たちに分かりやすくしているためなのだと思われる。
お金をたくさん持ち始めた中国人がすることは何かと考えれば、旅行が選択肢にあるのは間違いないだろう。
そして、中国から近い東南アジアのカンボジアはその候補地の一つになる。
旅行慣れした人やバックパッカーならいざ知らず、海外旅行経験が少ない人ならきっと自国に接点のあるホテルを宿泊先に選ぶと思われる。
つまり、カンボジアにある中国系のホテルがターゲットにするのは中国人旅行者なので、旧正月に旅行をする中国人に向けて赤提灯を出すことで一緒にお祝いムードを出すのは何も変なことではないのだ。
また、旧正月とは別に、カンボジアで面白いと感じたことがある。
それは、カンボジアでは米ドルが流通していているということだ。
カンボジアにも自国通貨が存在するのだが、米ドルが一般的に用いられているのだ。
僕自身も現地滞在中は、ほぼ米ドルを使って過ごした。
これも細かいとこは知らないが、おそらく現地通貨が弱く、米ドルの方が信頼性が高いため使用されているのだろう。
カンボジアが今後発展していった場合は、いつまでもアメリカという遠く離れた国の貨幣に頼り続けることはできないだろうから、きっと別の通貨に切り替えるタイミングがくると思う。
それが自国の通貨か、中国元か、はたまたビットコインのような全く新しいお金かは誰も知らないが。
日本人から馴染みの薄い東南アジアの国では、現地文化に中国マネーに米ドルなど色んなものが混ざり合っているようだ。
ちなみにカンボジア自体は仏教の国だが、フランスに支配された過去ももつ。
今後ももっと多くのものが飛び込んできては混ざり合っていくのだろう。
どのように変化していくかとても楽しみだ。
ちなみに仏教も結局のところ外国からやってきたものだが。
進化?退化?
この前、満員電車に乗っていたとき、ふとあるオジさんのタブレットの画面が目に入った。
ギチギチに詰まった電車内でタブレットを使われたら、見たくなくても見てしまうことはあるだろう。
決して覗きに行ったわけではない。
さて、そのオジさんが何をしていたかと言うと、タブレットで新聞を読んでいたのだ。
新聞を読むというのは、タブレットで単にニュースを読んでいたわけではなく、文字通り画面に新聞紙を映し出して読んでいたということだ。
僕自身は、ニュースを読むときにはほとんどスマホを使う。たまにパソコンで読むこともあるが、紙の新聞を読むことはない。
新聞紙を読もうと思ったら、購読するかコンビニで買って物理的に入手する必要があるからた。
僕にとっては、その行為は面倒な作業であるし、ネット上で読める記事だけで十分なので紙の新聞を買わない。
世の中には紙の新聞で入手しする方が簡単な情報も多少なりともあるだろうから、紙の新聞を読むことを否定するつもりはないがそのうちなくなるだろうと思っている。
逆にネットから電子的にニュースを読めるからこそ、僕の眼の前にいたオジさんはタブレットで新聞を読んでいたのだろうが、わざわざタブレットで読むのに紙の新聞をそのまま表示する必要があるのだろうか?
そもそも、新聞の記事の配列は限られた面積に詰め込むために考えられたものだはないだろうか?
僕が初めて新聞を読もうとしてみたのは、小学校の国語の授業で新聞を読んでみようみたいな課題があったからだったと思う。
そのとき感じたのは、記事がどこからどこにつながるかよく分からなくて読みにくい、だ。
新聞のインターフェイスは読み慣れれば読めるけど、あくまでも紙に印刷するためのもので、読みやすさを最優先にして作ったものではないことは確かだろう。
しかし、上記のおっさんはそのインターフェイスがどうのこうのを無視してタブレットで新聞を読んでいたのだ。
もちろん、おっさんが自ら新聞をスキャンしてデータとして取り込んでいるとは考えにくいので、新聞社がそういうサービスとして提供しているのだろうが、タブレットやスマホで読めるようにするなら、画面に合わせた形で記事を表示させるのが普通ではないかと思う。
もしかしたら、おっさんは新聞のインターフェイスを好んでおり、そういう人がある程度いるから新聞社は紙をそのままデータとして提供しているのかもしれない。
そうだとしたら、これほど滑稽なことはないと思う。
紙に詰め込みやすいように作ったインターフェイスが紙から解放されたのにもかかわらず、人間の方が読みにくさに対応したまま取り残されてしまっていてる。
最新の技術が詰まったタブレットてレガシーの新聞を読むという対比をとって皮肉ったアートのようにさえ思える。
ところで、僕はこの記事を電車に乗りながらスマホで書いている。
電車の扉には何かしらの広告が貼られているものだが、ちょうど電車を乗り換えたとき恐ろしい扉広告を見つけてしまった。
某新聞社が電子端末で新聞を読めるサービスがあると宣伝していたのだ。
しかも通常は月額約2000円かかるが、今登録すると数百円ときている。
新聞社が紙用のインターフェイスを作って、読者が慣れて、紙を使わなくなったのに紙用のインターフェイスでダブレット向けに記事を販売してと、電子化の移行期とはいえこんな奇妙なことがはそうそうないと思う。
逆にいつまで、新聞紙インターフェイスが残り続けるか楽しみだ。