日本が若返り出来ずに死んでいくであろう一因
至る所で叫ばれているが、日本は高齢化が加速している。
内閣府のHPにある情報によると2017年の時点で65歳以上の人口は全体の27.7%を占めている。
すでに27.7%ということは既に日本人の4人に1人以上は65歳以上の高齢者にあたることになる。
<内閣府HP>
1 高齢化の現状と将来像|平成30年版高齢社会白書(全体版) - 内閣府
昭和までの日本は人口増加で、若い人材が多くイケイケどんどんの状態で経済を発展させてきたわけだが、その手法はとうの昔に使えなくなっている。
上に貼ったHPにあるグラフ内にある通り、これからの日本は現役世代も減るので尚更もう人口に頼った経済の発展は見込めない。
もし適齢期の女性が頑張って4人も5人も子供を産んだとしても、現役世代の増加に繋がるのは20年以上必要になるので、人口増加を達成している頃には既に経済的には衰退か崩壊をしていると思われる。
さて、この問題を解決するための一案として考えられることに移民がある。
20年も待っていられないので、海外から若い人を直接引っ張ってこれば良いという発想だ。
若返りは必須であるとみんな理解しているようで、僕は調べるまで知らなかったのだが、日本は実は世界的に見ると移民を受け入れている方らしい。
<西日本新聞の記事>
「移民流入」日本4位に 15年39万人、5年で12万人増|【西日本新聞】
西日本新聞の記事では、ドイツがずば抜けて移民数が多く、アメリカが第2位となっている。
ドイツとアメリカが異様に受け入れ数が多く、第3位以下は団子状態で一年あたり30万から50万人くらいの受け入れ数ということが分かる。
日本は一年で40万人近くの移民がいると知って、僕自身はそんなに多いのかと正直驚いたのだが、確かに思い起こしてみるとコンビニ店員はほどんと東南アジア系の外国人だし、近くにある工場からも外国人が大勢出てくるのをよく見かける。
おそらく、コンビニ店員や工場勤務者の形で大勢の外国人労働者を日本に呼び込んでいるのだろう。
さて、僕自身は移民には賛成だ。
日本は高齢化社会から回避することはできなくて、若い人が必要であるから海外から連れくるというシンプルなアイディアは分かりやすいし、それしか手はないと思っている。
僕は海外旅行が好きでアジアの国にもいくつか行ったことがあるのだが、特に東南アジアには日本にはない熱気や猥雑さを感じる。
熱気というのはあくまで人の熱意という意味で、気温の話してはないことに注意してほしい。
日本全体が東南アジアのようにごちゃごちゃした方がいいと言うつもりは全くないが、移民を受け入れることで新しい刺激を受けるのはとてもいいことだと思う。
世界的にはアメリカをはじめ自国ファーストの流れがきているので、逆張りで外国人を大量に受け入れてグローバル化を目指すのも良い選択肢ではないだろうか。
しかし、経済の発展のために移民を進めると言う観点からすると、今のようにコンビニ店員や工場労働者のようなブルーカラーを大量に連れてくるのは、方向性を正しいのか疑問が残る。
彼らは日本で働きこそしているが、あくまで現時点では日本の賃金の方が自国よりも良いから日本に来ている出稼ぎ労働者だ。
そのうち時期が来たら自国に帰ってしまうだろう。
若い日本人が少なく、コンビニ店員などの面倒な作業が多い割に安い仕事をあえてやりたがる人はあまりいない。
そこで外国人労働者を連れてきて、そういった誰もやりたがらない仕事をさせている状態となっている。
もちろん外国人労働者も本当にやりたくなければ、コンビニ店員をやったりしないだろうが、賃金の差がその差を埋めていることになる。
日本は高齢化が進み、いずれ死んでしまうことを避ける手段として移民を推進する必要があるのだが、その移民が出稼ぎ労働者であれば意図に沿った移民であるとは言い難いのではないだろうか。
人が少なくやりたがる人が少ない仕事があるのならば、例えば無人化の方向で頑張らなければならないし、当然、当事者たちは無人化の努力をしている。
スーパーにコンビニも… 広がる“無人化”|日テレNEWS24
現在の多くの移民は無人化が達成するまでの一時的なものとも考えられる。
つまり、高齢化で人が少なくなるので、自動化や機械化を進めなければならないが、そう簡単にできることでもないので、人手が不足している間に外国人労働者に頑張ってもらうという図式になっている。
では、人の手が必要なくなれば移民は必要ないのだろうか。
やはりそれは間違っていて、移民は必要であると思う。
日本は人口が減少状態に入っており、若い人もどんどん減っている。
人口構造が定常状態であれば、機械に置き換える間だけ手伝ってもらえれば問題はないかもしれないが、人が減っていて定常状態に入る見込みもないので、不足分を補うための移民は必要となる。
そして、その移民は出稼ぎ労働者ではなく、何かしらの職業を持った定住者でなければならない。
ただし、基本的に日本語しか使えない日本で働き続けるのは困難であると予想できる。
その人が相当日本のことを好きでなければままならないだろう。
もしくはお金を積み、住みやすい環境を整えて残ってもらう必要がある。
そのような努力を国や各企業が実はしっかりやっているのかもしれないが、現在の移民数が多いから今後の高齢化社会に対してどのような意味があるのかと考えるのはずれていると思う。
今の日本に必要なのは日本に日本人と同じ様に定住している人なので、移民の定着率を見なければ意味はないだろう。
さて、移民には定住してもらうことが重要なのであるが、外国人が、特に東南アジア人が日本に住み続ける上で非常に厄介な問題が日本にはあると僕は感じている。
それがタイトルにある一因にあたる。
近所のコンビニ店員はほとんど東南アジア人なのだが、最近になって奇妙なことを発見した。
店員は外国人なのだが、つけている名札が日本人の名前だったのだ。
はっきり思えているが、以前は外国人の店員はカタカナで外国人名の名札をつけていたのだが、今では「さいとう」や「まこと」の様にひらがなで日本人名の名札をつける様に変わってる。
これと同時に、気がついたことがあるのだが、外国人コンビニ店員にやたら高圧的な態度をとる高齢者を見なくなった。
これは僕の憶測に過ぎないが、一部の高齢者は相手が外国人労働者であるとわかると無礼な態度をとり、コンビニ側はそれが営業に支障が出ると判断したので、外国人店員に日本人名の名札をつけさせているものと考えられる。
一部の高齢者が無礼な態度を取る原因が、相手が外国人労働者であることのため、高齢者に外国人かパッ見で判断できないように名札を日本人名にすることは、なかなかアクロバティックなアイディアなのかもしれないが、果たして本当にそれが正しい行動なのかは疑問が残る。
厄介な高齢者とのいざこざを回避するために、外国人労働者に偽名を表示させることは、外国人労働者からしたらどのような気分なのだろうか。
一方で、全員ではないにしろ、外国人労働者に偏見を持つ人はそれなりにいるものと想像できる。
特に東南アジア系の外国人を自分たちよりも劣っていると考えている人が沢山いるからコンビニは日本人名を名乗らせるようにしているのではないかと思う。
この文化的な認識が変わらない限り、日本が移民にとって定住するに値する国になることはないだろう。
それにしても、大昔やファンタジーの世界のように、本当の名前を知られることが禁忌であるならまだしも、わざわざ日本まで来て仮の名前を与えられるというのは何とも納得しがたい話だ。
逆にいえば、悪質な高齢者という悪霊や災害から身を守るために真名を隠して、仮の名前で生きなければならない日本は、現実世界において異世界ファンタジーを体現しているのかもしれない。