熱中症で人が死ぬのは知ってるけど知らない
一週間ほど前、7月17日に小学一年生の男の子が熱中症で亡くなったという非常に悲しいニュースが流れた。
報道によれば屋外学習により体調を崩し、熱中症になったとのことである。
ネットでは、屋外学習を引率した教師を非難する声を見かけるのも少なくない。
確かに、教師の立場でもって子供たちを監督していたのだから責任は間違いなくある。
もし自分が亡くなった男の子の保護者ならと想像すると背筋が凍る。
人の死とはそれほど重大なものなのだ。
一方で自分が教師だったら、どうだろうとも思う。
おそらく、教師同士の会議で屋外学習をいつやるか話し合っただろう。
恒例だからとか、教室の中だけでなく外でも学ぶべきだとかの理由により実施を決めたはずだ。
普通に考えたら、引率の教師が独断で屋外学習を決行したはずがないのだ。
やると決まった仕事を突き返すことのできる教師がどれほどいるだろう。
正直、自分が引率をする教師だとしたら、こんな暑い中アホかと思っても、そのまま決定事項に従い屋外学習をやったと思う。
さらに、屋外学習をやっている最中に体調が悪い子が現れたとき、適切な熱中症の対応ができるだろうか。
元気に遊びまわる子供たちを見て誰がヤバい状態にあるか見分けられるだろうか。
全く自信がない。
僕の自信がないからと言って、引率教師の責任が軽くなるわけではないが、この事案に対して死ねだのカスだの罵るのは的外れだと思う。
まず、屋外学習をやっていなかったら屋外学習で誰も死ぬことはなかったのだ。
なぜなら屋外学習をやっていないのだから。
つまり、屋外学習を実施してしまった学校に問題がある。
判断を誤った学校には組織として免れようのない責任が存在する。
しかし、暑い日に屋外学習をやったとしても誰も死なない可能性もある。
今回、男の子は本当に残念だが亡くなってしまったが、もし何かが本の少しだけ違っていたら同じ結果ではなかったかもしれないのだ。
例えば、もう少し風が強かったら? もし何かの拍子で怪我をして脇で休憩していたら? 挙げればきりがない。
そして、その亡くならなかったケースというのが全国で屋外学習をやっている学校にあたる。
全国を探し回ってこの学校だけが暑い中、屋外学習を行なったと考えるのは不自然だ。
他の学校ではたまたま誰も死んでいない、もしくは死んだことが報道されていないため、全国各地で同じ事やもっと酷い事をやっていたとしても何も不思議ではない。
つまり、罪のない子供が死ぬ可能性はそこら中に転がっているのだ。
今回の事案で熱中症で人が死ぬと強く印象づけられた。
教師個人を責めれば、その人は熱中症について勉強するようになったり、教師を辞めたりして同じような犠牲者は減るかもしれないが、それはとても狭い範囲の話となる。
全国のたまたま人が死ななかった屋外学習は多少減るかもしれないが、それまでだろう。
暑さに対して学校が安全になるかもしれないし、ならないかもしれないのだ。
声を上げるのなら、その対象は教育体制そのものや問題になっていない学校も含めなくてはいけない。
今回のニュースが報道されるまでに熱中症は死ぬ可能性があると知っていた人はどれほどいるだろうか。
おそらく大抵の人は知っているはずだ。
熱中症で誰かが死んでしまったという事案は今回が人類最初のケースなわけないし、毎年のように報道されている。
みんな知っているのだ。
しかし、熱中症で人が死ぬ事を止められないのは、熱中症の事を正しく理解していないし、何が熱中症につながるかを知らないからだろう。
屋外学習から出発すると熱中症に考えが及ぶ人もいれば、そうでない人もいるが、熱中症から出発すれば屋外学習は危険極まりないと気づく。
熱中症というものを知ってはいるが、気がつかなければ知らないのと同じと言っていいと思う。
日本全国、いたるところに熱中症を知らない人や組織がある。
今回のニュースを受けてするべきなのは、非難ではなく知らない人に熱中症を教えて上げる事である。